大判例

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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)7577号 判決

原告

甲野太郎

外一名

右原告ら訴訟代理人弁護士

西尾悟郎

岩崎昭徳

被告兼亡乙野二郎訴訟承継人

乙野一郎

外一名

被告亡乙野二郎訴訟承継人

乙野三郎

右被告ら訴訟代理人弁護士

内藤秀文

山本健司

峯本耕治

被告

丙野四郎

外一名

右被告ら訴訟代理人弁護士

上原康夫

竹下政行

被告

丁野山子

外二名

右被告ら訴訟代理人弁護士

石田文三

青木佳史

雪田樹理

被告

戊山六子

外二名

右被告ら訴訟代理人弁護士

養父知美

高瀬久美子

岩佐嘉彦

被告

豊中市

右代表者市長

林實

右訴訟代理人弁護士

松浦武

右訴訟復代理人弁護士

畑村悦雄

右指定代理人

三浦通生

外四名

主文

一  被告乙野一郎、被告乙野一子、被告乙野三郎、被告丙野四郎、被告丙野風子、被告丁野山子、被告丁野五郎、被告丁野土子、被告戊山六子、被告戊山七郎及び被告戊山鳥子は、原告甲野花子に対し、各自金二八四五万五四九六円(ただし、被告乙野三郎については金七一一万三八七四円)及び内金二五八五万五四九六円(ただし、被告乙野三郎については金六四六万三八七四円)に対する平成三年一一月二二日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告乙野一郎、被告乙野一子、被告乙野三郎、被告丙野四郎、被告丙野風子、被告丁野山子、被告丁野五郎、被告丁野土子、被告戊山六子、被告戊山七郎及び被告戊山鳥子は、原告甲野太郎に対し、各自金二六二五万五四九六円(ただし、被告乙野三郎については金六五六万三八七四円)及び内金二三八五万五四九六円(ただし、被告乙野三郎については金五九六万三八七四円)に対する平成三年一一月二二日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らの被告乙野一郎、被告乙野一子、被告乙野三郎、被告丙野四郎、被告丙野風子、被告丁野山子、被告丁野五郎、被告丁野土子、被告戊山六子、被告戊山七郎及び被告戊山鳥子に対するその余の請求をいずれも棄却する。

四  原告らの被告豊中市に対する請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、原告らと被告乙野一郎、被告乙野一子、被告乙野三郎、被告丙野四郎、被告丙野風子、被告丁野山子、被告丁野五郎、被告丁野土子、被告戊山六子、被告戊山七郎及び被告戊山鳥子との間で生じた分についてはこれを五分し、その四を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とし、原告らと被告豊中市との間で生じた分については原告らの負担とする。

六  この判決は、第一項、第二項及び第五項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)に対し、各自金三三四四万円(ただし、被告乙野三郎については金八三六万円)及び内金三〇四〇万円(ただし、被告乙野三郎については金七六〇万円)に対する平成三年一一月二二日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)に対し、各自金三二三四万円(ただし、被告乙野三郎については金八〇八万五〇〇〇円)及び内金二九四〇万円(ただし、被告乙野三郎については金七三五万円)に対する平成三年一一月二二日から右支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、平成三年一一月当時、被告豊中市の設置する大阪府豊中市熊野町三丁目八番一号所在の豊中市立第十五中学校(以下「十五中」という。)の三年生であった亡甲野星子(昭和五一年八月一六日生まれの女子であり、以下「亡星子」という。)が、同年一一月一五日午後五時過ぎから六時ころまでの間、十五中の正門東側の花壇付近において、当時十五中の三年生であった被告乙野一郎、被告丙野四郎、被告丁野山子及び被告戊山六子(以下「被告生徒」という。)から、身体を何度も蹴られるなどの暴行を受けたため(以下「本件事件」という。)、頭部打撲傷(硬膜下血腫、脳腫張、脳死脳)などの傷害を負い、治療のかいなく、同月二一日午後一一時四五分ころ、脳圧迫により死亡したことについて、亡星子の両親であり、亡星子の相続人である原告太郎及び原告花子が、被告生徒らに対しては右暴行行為について民法七〇九条の不法行為に基づく損害賠償を、当時被告生徒らの親権者であった亡乙野二郎(ただし、同人は平成七年一二月二〇日に死亡し、同人の妻の被告乙野一子、同人の長男の被告乙野三郎及び同人の二男の被告乙野一郎が、同人の法律上の地位を承継した。)、被告乙野一子、被告丙野風子、被告丁野五郎、被告丁野土子、被告戊山七郎及び被告戊山鳥子(以下「被告親権者ら」という。)に対しては、本件事件の発生を未然に防止すべく被告生徒らを監護及び養育する義務を怠り、本件事件を発生せしめた点について民法七〇九条の不法行為に基づく損害賠償を、被告豊中市に対しては、十五中において被告生徒らを含む十五中の生徒による亡星子に対するいじめが公然化しており、十五中の教職員はこれを認識できる状況にあったにもかかわらず、亡星子へのいじめに対する具体的防止策をなんら講じなかったために本件事件の発生を防ぐことができなかった点について、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償を、それぞれ求めた事案である。

一  争いのない事実

1  (当事者)

亡星子(昭和五一年八月一六日生まれ)は、原告太郎及び原告花子の二女であり、本件事件の発生した平成三年一一月一五日当時、十五中の三年三組に在籍していた。なお、原告らは、平成元年九月一日に協議離婚し、原告花子が亡星子の親権者となった。

被告乙野一郎(昭和五一年五月二二日生まれ)は、亡乙野二郎(ただし、同人は平成七年一二月二〇日に死亡し、相続により、同人の妻被告乙野一子が二分の一の割合により、同人の長男の被告乙野三郎及び同人の二男の被告乙野一郎が各四分の一の割合により、同人の法律上の地位を承継した。)及び被告乙野一子夫婦の二男であり、本件事件当時十五中の三年八組に在籍していた。

被告丙野四郎(昭和五二年二月二八日生まれ)は、丙野八郎及び被告丙野風子の二男であり、本件事件当時十五中の三年四組に在籍していた。なお、丙野八郎と被告丙野風子は、昭和六〇年一〇月二四日に協議離婚し、被告丙野風子が被告丙野四郎の親権者となって、同被告を監護・養育していた。

被告丁野山子(昭和五二年二月一四日生まれ)は、被告丁野五郎及び丁野土子夫婦の二女であり、本件事件当時十五中の三年七組に在籍していた。

被告戊山六子(昭和五一年五月二七日生まれ)は、被告戊山七郎及び戊山鳥子夫婦の長女であり、本件事件当時十五中の三年八組に在籍していた。

2  (本件事件の発生)

亡星子は、平成三年一一月一五日午後五時過ぎから六時ころまでの間、十五中の正門東側の花壇付近において、被告生徒らから、身体を何度も蹴られるなどの暴行を受けたため(「本件事件」)、頭部打撲傷(硬膜下血腫、脳腫張、脳死脳)などの傷害を負い、同日午後七時ころ、救急車で豊中市庄内宝町二丁目六番二三号所在の大阪脳神経外科病院に搬送され、同病院に入院して治療を受けたが、同月二一日一一時四五分ころ、脳圧迫により死亡した。

3  (被告生徒らの責任)

被告生徒らは、いずれも本件事件当時満一四歳八月ないし一五歳五月の事理弁識能力を備えた中学三年生であったから、故意による前記暴行行為により亡星子を死亡させるに至ったのであるから、民法七〇九条、七一九条に基づく不法行為責任を負う。

二  争点

1  被告豊中市の責任

(原告らの主張)

(一) 本件事件は、次に述べるとおり、十五中の教職員であるN(本件事件当時十五中の校長。以下「N校長」という。)、I(本件事件当時の十五中の教頭。以下「I教頭」という。)、Y(亡星子が十五中の三年三組に在籍していた当時のクラス担任教師。以下「Y教諭」という。)、K(亡星子が十五中の二年五組に在籍した当時のクラス担任教師。以下「K教諭」という。)及びO(本件事件当時の十五中における生徒指導主事。以下「O教諭」といい、右五名の教師を合わせて「被告教職員ら」ともいう。)の職務上の過失によって生じたものであるから、被告豊中市は、国家賠償法一条一項に基づき、本件事件によって亡星子及び原告らが被った損害を賠償すべき責任がある。

(二) 一般に、教師、学校関係者には、児童生徒の生命、身体、健康の安全を確保すべき注意義務があることは、学校教育法その他の教育関係諸法に照らして明らかであるところ、十五中の教職員らにおいても、生徒に対して一般的、抽象的な注意や指導を行うにとどまらず、具体的状況に応じて、各生徒の能力や心身の発達状態に応じた生活指導を行い、特に、他の生徒に危害を加えるおそれのある生徒、危害を加えられるおそれのある生徒については、その行動にきめ細かな注意を払うなどして、生徒間の事故によりその生命、身体が害されるという事態の発生を未然に防止するための教育専門的な措置を講ずべき高度の注意義務(作為義務)もしくは結果発生回避義務を負うものというべきである。

(三) 被告生徒らは、次のとおり、亡星子に対し、亡星子が十五中に入学して以来長期間にわたって、亡星子の腰や足を蹴ったり、「汚い、風呂に入っていない、髪を洗っていない、甲野菌」等の暴言を浴びせるなどの、いわゆるいじめを行っていた。なお、亡星子に対するいじめが深刻になったのは、亡星子が中学二年生(以下特に断りのない限り、「中学」は省略する。)になってからのことであり、被告生徒ら以外にも多くの生徒が亡星子に対し、蹴ったり、靴で頭を叩いたり、「甲野菌」などと言ってはやしたてたり、唾をかけたり、雑巾を投げつけるなどのいじめを行っていた。

(1) 被告乙野一郎は、登校時、休み時間、掃除の時間などに亡星子と顔を合せるたびに、亡星子の腹、腰、尻、足などを蹴る暴行を加えたり、わざと大声で怒鳴ったり、殴りかかるような仕草をして亡星子を怖がらせ、脅していた。

また、同被告は、平成二年九月中ころ、東豊中小付近の路上で亡星子及び原告花子を見かけるや、同人らのところに走り寄り、亡星子に対し、「おまえ、このあいだ何で逃げたんや。」などと言って、いきなり亡星子のふくらはぎを二回蹴り、また、平成三年八月一七日ころ、原告花子の自宅付近にあるハンバーガー店「ロッテリア」の店内において、原告花子及び甲野三子(亡星子の姉。以下「三子」という。)と一緒にいた亡星子を見つけるや、いきなり亡星子の足を強く蹴り、原告花子がこれに抗議すると、謝りもせずに逆に原告花子を睨みつけ、その後帰宅途中の亡星子に対し、「いつか蹴り殺してやる。」などと脅すなど、原告花子の面前で亡星子に対するいじめを行ったことがあった。

(2) 被告丙野四郎は、学校の廊下や運動場などで亡星子を蹴ったり、暴言を吐いたりした。

(3) 被告丁野山子は、亡星子を蹴ったり、亡星子に対し、「汚い、風呂に入っていない、ふけが溜まっている」などの暴言を吐いたりした。

(4) 被告戊山六子は、被告丁野山子と一緒に亡星子をいじめていた。

(四)(1) 右三記載のとおり、十五中においては、被告生徒らを含む生徒による亡星子に対する長期間にわたる日常的ないじめが存在しており、右いじめの大部分は十五中の校舎内や運動場などで行われていた。亡星子は、このようないじめを受けたため、二年生の三学期以降、学校を欠席しがちになった。

(2) 亡星子及び原告花子は、亡星子が二年生のとき、K教諭に対し、被告丙野四郎が亡星子をしばしば蹴ったり、叩いたりすることや、A(亡星子の二年生当時の同級生。以下「A」という。)が亡星子をいじめており、亡星子の不登校の原因がAのいじめにあるのではないかと訴え、また、原告花子は、平成三年九月末ころ、亡星子から、「今日もいじめられた。Aに背中を蹴られた。学校に電話して欲しい。」と訴えられたため、十五中に電話をかけ、対応したI教頭に対し、右いじめがあったことを伝えて、善処を求め、同年一〇月始めころにも、亡星子から再びAに背中を蹴られたと訴えられたため、十五中に電話し、応対した十五中の教職員(氏名不詳)に対し、右いじめがあったことを伝えた。

さらに、平成三年一〇月一七日に行われた生徒会役員選挙の立会演説会において、右選挙に立候補した生徒達が十五中に存在するいじめについて訴え、同月一九日付の生徒会新聞「つばさ」には、平成三年度後期生徒会の目標として、「いじめをなくそう」ということが掲げられ、当時の生徒会長の畑中喜士己の「十五中にはまだまだ、いっぱい、いじめがあります。ぼくは、それが人ごとだとは、思えません。ぼくもいじめられたことがあるからです。でも、みんなは、いじめについて、まじめに、かんがえようとしません。いじめを、ほおっておいて自由への土台作りはできません。ぜったいいじめをなくしていこう。」という決意文をはじめ、「私は、「いじめ」について考えていきます。」という副会長名部亜紀子の決意文、書記の天野隆之介による「ぼくが四役をやっている間は差別やいじめのないよりよい仲間づくりができるようにし」との決意文が掲載されていた。また、同年一一月一七日付で発表された「生徒会方針案 専門委員会方針案」には、「今のクラスや学年で上下関係があったり障害を持っている子をいじめたりする状況が普通になってきています。」「むしゃくしゃしている人が何の罪もない「障害」を持つ人になぜか、やつあたりをするということがおきています。それを周りの一部の人が注意してもそれをやめるどころか逆に注意した人も攻撃をされるというおかしいことがあります。」とされていた。

(3) K教諭は、右(2)記載のとおり、二年生の三学期以降亡星子の欠席日数が増えたこと並びに被告丙野四郎及びAによる亡星子に対するいじめの存在を認識していながら、Aによるいじめについては、K教諭が亡星子にいじめの事実を確認したところ、亡星子がこれを否定したという理由でそれ以上の調査をせず、被告丙野四郎によるいじめについて、K教諭は、亡星子に対し、「被告丙野四郎はそんなことをする子ではない。」「嘘をついてはいけない。」などと言って、亡星子の訴えに耳を貸さなかった。

また、I教頭らは、右(2)記載のとおり、原告花子から、二回にわたってAが亡星子をいじめているとの通報を受けたにもかかわらず、いずれの場合も、当時Aのクラス担任教師であったC教諭(以下「C教諭」という。)がAに対して訓戒を加えただけで、その暴行の原因や経緯に関して事情聴取したりすることはなかった。

そして、被告教職員らは、右(2)記載のとおり、生徒会役員らからいじめについての訴えがあったことを認識していながら、いじめについて全校的規模の調査をしてその実態を把握し、その対策を講ずるなどの措置を取らなかった。

(五) 本件のようないじめの場合、いじめが本来陰湿、隠微であり、他方、被害者も仕返しを恐れてなかなか救済を求めようとせず、容易に表面化しない特質を有し(この点で、特に、亡星子は、小学校時代からいじめに逢ってきたが、これまで誰も助けてくれたことはなく、亡星子自身の知的・情緒障害もあって、いじめられている事実を誰にもうまく訴えることができなかったということが考慮されなければならない。)、被害者が学校もしくは保護者などに被害を訴えるなどしていじめが表面に現れたときは、それは質・量ともに深刻化しているのが常であることを被告職員らは当然に知っていたのであるから、亡星子から、原告花子を介して続けて二回にわたり「亡星子がAから背中を強く足蹴りされて息がつまり、嘔吐しそうになったという危険極まりない暴力的いじめの具体的事実」の申告とその救済の申立を受けた以上は、これを単に一過性のものと決めつけずに、それまで知り得たいじめの事実と合わせて、直ちに実行性のある措置、例えば、いじめについての専門的かつ全校的規模の調査を実施することにより、被告生徒らを含む十五中の生徒らによる亡星子に対する長期的かつ日常的いじめの存在を認識、把握し、その上で、十五中において、いじめの問題についての集団討論、家庭への連絡、家庭訪問、教師による加害者及び被害者との個別面接、保護者との三者面談などの方法による指導をするなど、いじめを防止するために実質的、具体的な防止策を講ずるべき義務を負っていたというべきであり、これらの措置を講じていれば本件事件の発生を未然に回避することが可能であったということができる。

また、亡星子に対する暴力的いじめは、前記(三)記載のとおり、亡星子を足蹴にするという危険なものであり、胸腹部あるいは頭頸部を直接蹴るのみならず、蹴って転倒させれば頭部を致命的に強打することはいくらでもあり得るものであったから、亡星子に対するいじめの存在を認識し、又は認識し得た被告教職員らは、本件事件の発生を予見し得たというべきであり、仮に本件事件の発生を具体的に予見することができなかったとしても、いじめ被害の特殊性からみて、被告教職員らがいじめの最終結果に先立つ個々のいじめを認識し、あるいは、これを認識する可能性がある場合には、仮に最終結果(本件の場合には本件事件の発生)について具体的に予見できなかったとしても、被告教職員らは、本件事件について責任を負うべきである。

なお、本件事件は、十五中の校内において、午後五時の下校時刻後に発生したものであるが、十五中の教職員らは、下校時刻を過ぎても校内に残っている生徒に対する下校指導や校内指導をせずにこれを放置しており、そのため、被告生徒らが下校時刻を過ぎても校内に残留し、いじめのために昼間は登校することができず、放課後に教師に勉強を教えて貰いに来た、又は、昼間配付された宿題などのプリントを取りに来た亡星子を発見して、暴行に及んだものであるから、本件事件は、学校教育の場における教育活動及びこれと密接に関連する生活関係の場で起こったということができ、被告教職員らの保護監督責任の及ぶ範囲内の事故であるというべきである。

(被告豊中市の主張)

(一) 亡星子は、他の生徒を叩いたり、髪を引っ張ったりした後走って逃げるなどの行動を行うことがあったことから、亡星子が一年生の時には、右行動に対して他の生徒が反発し、言い争い程度のトラブルが生じることがあったが、亡星子の二年生時、三年生時には、当時亡星子のクラス担任教諭であったK教諭及びY教諭がクラスの生徒に対し、亡星子の行動を理解してやるように指導し、また、クラスにおいて、亡星子の支えていくための試みなどが行われた結果、二年生時には右トラブルは減少し、三年生時にはほとんど見られない状態となった。十五中の教職員は、右トラブルがあったとは認識していたが、それ以外に亡星子に対するいじめが存在しているとの認識はなく、被告生徒らが亡星子に対していじめを行っているとの認識もなかった。

(二) K教諭は、亡星子から、被告丙野四郎が亡星子を蹴ったと訴えられたことはないし、クラスの生徒からも右いじめについての報告はなかった。K教諭は、Aが亡星子を蹴るという訴えを、平成二年一〇月中旬ころ原告花子に電話をしたときに聞き、Aの担任教諭に連絡して指導して貰っており、数日後、K教諭が原告花子に電話をしてその後の様子を聞いたところ、原告花子は、そういうことはなくなったと答えたものである。

また、亡星子の三年生時には、亡星子を理解し、支えていくことが可能な生徒を亡星子と同じクラスにするなどの配慮も行い、これらの生徒を中心に亡星子を支えるための取組が継続的に行われていたものであるが、亡星子と最も接触する機会が多く亡星子の様子を分かっているこれらの生徒からも、Y教諭に対して亡星子へのいじめについての報告はなかった。

亡星子は、二年生の二学期以降、遅刻、早退、欠席が増加し始めたため、担任(K教諭・Y教諭)を中心にその原因を究明すべく努力を続けていたが、亡星子からは、「しんどかった。」といった程度の答えしかなく、担任が原告花子に直接接触できたときには出欠状況を話し、心当たりはないかと尋ねても、「ちゃんと学校に行かせている。」との返事を繰り返すのみであった。担任がクラスの生徒に聞くなどの努力を試みたが、亡星子に対するいじめが原因であるとの話は出てこず、むしろ、学校へ行かない奔放な姉三子の生活ぶりを羨ましく思ったり、欠席がちの被告丙野四郎の暮らしに憧れているのではないかとのことであった。

さらに、亡星子は、平成三年四月ころから、十五中の校区内やその他の地域の商店街においていたずらや窃盗などの問題行動を起こすようになり、そのため、O教諭が亡星子を豊中警察署に同行したことがあったが、その際も、亡星子は、O教諭に対し、昼間原告花子は家におらず、遊んでいる方が楽しいので学校をさぼっている趣旨のことを述べており、いじめが原因で学校へ行かないとの話をしたことはなかった。むしろ、亡星子の欠席の原因は、生前よく亡星子の面倒を見に来ていたとみられる祖母が亡くなる前までは亡星子の欠席も少なかったことからして、祖母の死亡による家庭内の変化が亡星子にも反映していたと考えられる。亡星子の欠席が増えたことについては、欠席の届出がないので、担任らが出勤前、空き時間、放課後に家庭訪問を繰り返し、欠席の原因の把握と指導に努めており、同級生たちも、担任の指導により、亡星子が登校できるよう日頃から亡星子への働きかけをしていたものである。

このような事情のもとで、十五中の教職員が、亡星子の欠席の原因はいわゆる怠学であろうと推測したとしても何ら非難されるべきものではない。

(三) 原告花子から十五中に電話連絡がなされた件については、Y教諭が亡星子に事情を聞く一方、Aに対してはAの担任で学年生徒指導担当であるC教諭がA宅を訪問して厳しく指導したが、その中では亡星子がA以外の生徒からいじめや暴行を受けているとの話は出てこなかったものであり、C教諭がA及びAの母親と話し合い、Aが今後は亡星子に暴行を加えたりしないと誓い、その後、Y教諭が原告花子に確認したところ、Aによる亡星子に対する暴行はなくなったとのことであったので、その時点で右いじめについては適切に解決したものと判断し、特にその時点でN校長に報告しなかったとしても、右教諭らの対応に過失があったとはいえない。

(四) 平成三年度後期の生徒会役員選挙の立会演説及び生徒会新聞「つばさ」でいじめをなくそうとの訴えがなされたが、このことについて、教職員が生徒会役員の真意を確認したところ、役員の中には、小学校時代あるいは十五中に転校してくる前の学校でいじめを受けた経験のある生徒がいたが、当時全盲の生徒に対して他の生徒がわざと間違った方向を教えるという事件があったことから、いじめ問題の一つとして生徒たちも真剣に考えて敏感に反応し、どんなささいなことでも相手が嫌な思いをするようなことはいじめとしてとらえて、そのようなことは見逃さずなくしていこうとの考えで訴えを行ったものであり、生徒会役員からは現実の具体的ないじめの話は出てこなかった。

N校長は、右立会演説での訴えの内容を聞いた後、直ちに職員朝礼で教職員全員に対し、いじめの有無についての実態把握に努めて指導の徹底を図るよう指示を行い、「つばさ」の発行後も、再度職員朝礼で、いじめの実態がないか調査し、いじめが認められた場合には学年生徒指導係又は生徒指導主事に報告するようにとの指示を行った。右指示を受けて、教職員らは、各クラスの状況に応じた方法で調査を行ったが、いじめの事実は出てこなかった。

右のとおり、十五中の教職員は、生徒会役員の訴えに対しては、その真意の把握に務め、具体的ないじめの例があるのかの確認も行い、さらに全校的にいじめの実態がないか点検も行っているのであって、適切な対処を行っている。

(五) 被告生徒らがグループを形成し出した時期は平成三年の夏休みの終わりころからであり、四人で非行やいじめをするということはなく、以前から四人で一緒に亡星子を蹴ったり、いじめてやろうと考えていたり、その機会を狙っていたということはなかった。

本件事件当日は、下校時刻前に校内放送で下校指導したが、当日行われていた職員会議がたまたま延長されたため、下校時における校門での指導が行われず、そのため当日何となく寄り集まっていた被告生徒らが残留する結果となり、被告生徒らは、下校時刻をはるかに過ぎた時間帯において、偶然閉じられた正門を乗り越えて入ってきた亡星子と出会って、偶発的に本件暴行に及んだものである。被告乙野一郎は、日頃より亡星子からいわゆるおちょくられていることへの反発で、軽くいじめる程度のつもりで怪我をさせるような蹴り方は考えていなかったが、亡星子が倒れたときの偶然の姿勢で亡星子の頭を蹴る結果となり、また、他の被告生徒らも群衆心理的に加わって亡星子を蹴ったために本件事件が発生したものである。

(六) 右(一)から(五)の事情に鑑みれば、十五中の教職員らには、被告生徒らによる本件事件の発生についての予見可能性はなく、また、本件事件は、教育活動と密接不離の関係にある生活関係で生じたものではないことが明らかである。

2  被告親権者らの責任

(原告らの主張)

(一) 被告生徒らは、本件暴行当時中学三年生であり、いずれも本件暴行の責任を弁識するに足りる能力を備えていたものであるが、未成年者が責任能力を有する場合でも、監督者の義務違反と当該未成年者の不法行為によって生じた結果との間に相当因果関係を認め得るときは、監督義務者たる親権者につき民法七〇九条に基づく不法行為が成立する。

(二) 親権者は、子に対し、少なくとも社会生活を営んでいく上での基本的規範として他人の生命・身体に危害を加えないようにとの生活指導を行い、常日頃から右規範を認識・理解させ、身につけさせる教育を施すべきであって、子の生活関係全般にわたって保護監督すべき義務を負っているところ、次の事実に照らし、被告親権者らは、右の保護監督義務を怠ったものというべきである。

(1) 被告乙野一郎は、無免許運転、暴走行為、喫煙などの非行を繰り返し、頭髪を金色に染めたり、変形学生服を着用して登校し、気儘に授業をさぼるなどし、いわゆる「番長」として振る舞い、教師たちの言うことを聞かず、逆に教師たちは被告乙野一郎を畏怖していたにもかかわらず、亡乙野二郎及び被告乙野一子は、被告乙野一郎の右の非行歴及び亡星子に対するいじめを知りながら、さしたる指導も行わず、放任していた。

(2) 被告丙野四郎は、被告乙野一郎らの非行グループと付き合い、喫煙したり、変形学生服を着用して登校し、気儘に授業をさぼるなどしていたにもかかわらず、被告丙野風子は、被告丙野四郎の右の非行歴及び亡星子に対するいじめ行為を知りながら、通り一遍の注意しかせず、事実上これを放任していたに等しい。

(3) 被告丁野山子は、二、三の非行歴や喫煙癖があり、言動が粗暴で、服装を乱し、「女番長」として振る舞い、気儘に授業をさぼるなどしていたにもかかわらず、被告丁野五郎及び丁野土子は、被告丁野山子の右の非行歴及び亡星子に対するいじめ行為を知りながら、事実上これを放任していた。

(4) 被告戊山六子は、夜遊び、喫煙の非行歴があり、服装を乱し、時には他の生徒に暴力を振るい、気儘に授業をさぼるなどしていたにもかかわらず、被告戊山七郎及び戊山鳥子は、被告戊山六子の右の非行歴及び亡星子に対するいじめ行為を知りながら、通り一遍の注意しかせず、事実上これを放任していたに等しい。

(被告親権者らの主張)

(一) 被告乙野一郎は、変形学生服を着用したり、頭髪を金色に染めたりしており、二年生のころには深夜暴走族を見にいったり、時には先輩の車に乗せて貰うなどいわゆる非行と称せられる生活態度が見られたものの、三年生になって担任のD教諭(以下「D教諭」という。)になってからは、その生活は落ち着きを見せるようになり、暴走族を見にいくこともなくなり、夜遊び、無断外泊もほとんどなくなり、夕方六時ころには帰宅し、ギターの練習をするなどといった生活を送るようになり、三年生の二学期には高校進学を意識して、授業はさぼりながらもその数も減り、勉強に取り組もうとする姿勢を表すようになっていた。そして、本件事件の発生する一週間前からはD教諭の家庭訪問による個別の勉学指導に素直にかつ積極的に応じていたものであり、学校の授業にも真面目に出席するようになって、その生活態度は極めて落ち着いていた。

被告乙野一子及び亡乙野二郎は、被告乙野一郎の右非行性について十五中の教職員から逐一報告を受け、担任らとの懇談や親子の対話を繰り返し、被告乙野一郎を大阪府の補導センターに通わせたりしていた。

(二) 被告丙野四郎は、一年生及び二年生の時は十五中で被告乙野一郎やAから暴行を受けるなどいじめの対象とされており、そのため、一年生の後半からあまり学校に行かなくなり、二年生の二学期ころからは長期間にわたり登校を拒否する状況となった。もっとも、被告丙野四郎は、三年生になってからは被告乙野一郎やAと親しくなり、いじめによる登校拒否とは別の意味での怠学傾向を生じ、校内で喫煙するなどもしていたが、被告乙野一郎やAらとともに他人に暴力を働いたりしたことはなく、この時期に暴力的性向を示したこともなかった。

被告丙野風子は、被告丙野四郎がAからいじめられて登校拒否し出したころから、被告丙野四郎が登校するよう励ますとともに、十五中の教職員や少年補導協助員の長谷川氏に相談して指導を受け、児童相談所を訪ねたりもして、被告丙野四郎の問題性向を解消させようと努力している。また、Aらが被告丙野風子宅を訪れ、被告丙野四郎と親しくしようとしたことについては、Aらとの付き合いをやめるよう繰り返し注意し、右交遊関係について十五中の教職員らに相談した。そして、被告丙野風子は、被告丙野四郎らとの生活のために働かざるを得なかったが、朝は被告丙野四郎の朝食と弁当を作り、夜は被告丙野四郎を監督するために、仕事が終わると直ちに帰宅するという生活を繰り返していた。

(三) 被告丁野山子は、三年生の一学期までの問題行動としては、一年生の時と三年生の一学期に万引きをして警察に連行されたことがあったが、それ以外ではミニスカートを着用し、制服のリボンを外し、髪の毛を脱色していたために目立つ存在ではあったが、暴行など粗暴な行動は一切なかった。被告丁野山子は、平成三年七月ころから被告乙野一郎と付き合うようになり、同年八月ころからは被告戊山六子と親しくなり、二学期になってから授業をさぼるようになり、被告乙野一郎、被告丙野四郎及び被告戊山六子とともに、被告丙野四郎の自宅を溜まり場とするようになったが、この点については、被告丁野五郎が被告丁野山子に対して厳しく指導したために同年一〇月中旬以降は授業をさぼることもなくなっていた。

(四) 被告戊山六子は、三年生の一学期までは非行は見当たらなかったが、平成三年七月ころから被告丁野山子と親しく行動を共にするようになり、夏休み中に一、二回友人のところに泊まりに行くと両親に嘘を言って、被告丁野山子と公園で夜中までしゃべっていたり、二学期に二、三回ほど制服のスカートの丈を長くし、上着の前ボタンを外して登校するなどの服装の乱れや、喫煙してみたり、遅刻や授業をさぼることが見られるようになったが、非行性は極めて低いものであった。

被告戊山七郎及び被告戊山鳥子は、被告戊山六子の右の変化を気にかけ、服装の乱れ、喫煙、遅刻などについて、直接本人に注意するとともに、担任のD教諭とも相談し、指導を依頼したところ、被告戊山六子は、本件事件前には服装の乱れもおさまり、喫煙もやめ、勉強に真面目に取り組む姿勢に戻りつつあった。

(五) 以上のとおり、本件事件以前において、被告生徒らには非行又は問題行動といわれるものが存在し、被告親権者らは、右の非行又は問題行動を認識していたが、それは本件事件のような暴行を窺わせるものではなかった。被告親権者らは、亡星子との人間関係のこじれ及び亡星子への差別意識に起因する被告生徒らによる亡星子に対するいじめについては、被告生徒らからも聞いておらず、また、十五中の教職員、亡星子及び原告花子から、被告生徒らが亡星子に対していじめを行っていると聞かされたこともなかった。したがって、被告親権者らは、被告生徒らによる本件事件発生という最終結果に対する予見可能性のみならず、最終結果に先立つ被告生徒らによる亡星子に対するいじめの存在を認識する可能性すらなく、結果を回避することはおよそできなかったものであり、また、被告親権者らが認識し得た被告生徒らの非行性に対しても、前述したとおり、被告親権者らの監督責任を果たすべく真摯に適宜対応したのであるから、被告親権者らに監督義務違反の過失は存在しなかったというべきである。

3  損害

(原告らの主張)

(一) 亡星子の損害

亡星子は、本件事件によって、次のとおり合計四八八一万円の損害を被り、原告太郎及び原告花子は、亡星子の死亡により、右の損害賠償請求権を金二四四〇万円ずつ(金一万円未満切捨て)相続した。

(1) 逸失利益 金二八八一万円

亡星子は本件事件当時満一五歳の女子であり、本件事件に逢わなければ、一八歳から六七歳まで四九年間にわたって一年間に金一八二万七一〇〇円の収入を得ることができ(平成三年版賃金サンセス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者の一八歳から一九歳までの平均賃金)、その三割を生活費として控除し、新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し(新ホフマン係数は22.5304となる。)、亡星子の死亡時における逸失利益の現価を求めると、次のとおり金二八八一万円(金一万円未満は切捨て)となる。

182万7100円×0.7×22.5304=2881万円

(2) 慰謝料 金二〇〇〇万円

本件事件により無惨な死を遂げた亡星子の無念さは筆舌に尽くし難く、これを慰謝するには金二〇〇〇万円が相当である。

(二) 原告らの固有の損害

(1) 慰謝料 各自金五〇〇万円

原告らは、平成元年九月一日に協議離婚しているが、原告らの亡星子に対する愛情に差異はなく、特に、亡星子の親権者・監護者として亡星子を愛育してきた原告花子の哀しみにはとりわけ深いものがあるので、原告らの精神的苦痛を慰謝するためには、原告ら各自につき金五〇〇万円が相当である。

(2) 葬儀関係費用 金一〇〇万円(原告花子について)

原告花子は、亡星子の葬儀費用及び仏壇・仏具購入費用として金一〇〇万円を支払った。

(3) 弁護士費用

原告花子につき金三〇四万円

原告太郎につき金二九四万円

(被告生徒ら及び被告親権者らの主張)

本件事件については、被害者である亡星子の日常の振る舞いが本件事件を誘発した側面も否定できず、服装が清潔でないとか、他の生徒にちょっかいを出すなど、亡星子の言動に特異な点が認められるということは被害者である亡星子自身の過失とはいえないものの、保護者である原告らが亡星子の養育責任を十分果たしていなかったことにも本件事件誘発の要因があると考えられるので、これらの点を原告ら固有の慰謝料の算定において考慮し、また、全体の損害額の算定に当たって、被害者側の事情として考慮されるべきである。

第三  争点に対する判断

一  争点1(被告豊中市の責任について)

1  前記第二、一の争いのない事実に証拠(甲一から一二、一四から七五、八三、八四、八七から九〇、一〇〇、一〇一、一〇四の1から4、一〇五から一一〇、一一一の1、2、一一三、一一六から一二八、一三〇の1から3、一三一の1から3、乙一から二六、二七の1、2、二八、二九の1から3、三〇から三七、丙一から四、丙A一、二、丙B一、二、丙C一から三、丙Dから六、証人Y、同K、同O、同N、同甲野三子(一部)、原告甲野花子(一部)、被告乙野一郎(一部)、被告戊山六子(一部)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一) (亡星子に対するいじめ)

(1) 亡星子は、平成元年三月豊中市立東豊中小学校(以下東豊中小」という。)を卒業し、同年四月十五中に入学した。東豊中小から十五中への引き継ぎによると、亡星子は、「情緒不安定、発育遅滞、場面元緘黙(家庭など心を開ける場所以外の場面、例えば授業内容が理解できない教室等では口を閉ざして言葉を発しない状態になる症状)」という障害があると判断され、学習面においても、「実技実習を伴う教科について介助をしてやるとできる。理解力が乏しく個別に説明してやる必要がある。学力は小学校二年のレベルで加減などについてはできる。ひらがなは読める。漢字も一部読める。作文の力は十分ではないが書ける力はある。」という状態であったため、東豊中小は、亡星子が十五中に進学するに当たって、豊中市教育委員会に対し、右の旨を通知し、右教育委員会は、十五中に右の旨を通知した。そこで、十五中では、障害児教育委員会(校長、教頭、障害児学級担当者、各学年二名の教論により構成)及び職員会議を開き、また、東豊中小との連絡会を開くなどした結果、亡星子を養護学級入級対象者であると判断したので、その結果を亡星子の保護者である原告花子に通知し、同人の了解を得て、亡星子を「ひまわり学級」と呼ばれる養護学級に入級させることとした(甲三三、乙二〇、三六)。十五中の養護学級は、障害児をその障害の種類により精神薄弱と情緒障害の二つのクラスに分けており、亡星子は情緒障害のクラスに入級した。(なお、原告らは、原告花子は亡星子が十五中に入学するに当たって養護学級に入級することを十五中から知らされていなかった旨を主張し、甲一〇九にはこれに沿う部分があり、原告花子も同趣旨の供述をするが、乙二〇によると、豊中市においては児童・生徒を養護学級に入級させるに当たっては原則として保護者の同意を必要としていることが認められ、また、後記認定のとおり、十五中は、亡星子が三年生に進級した際、原告花子の強い希望を入れて亡星子を養護学級から外し、普通学級に入級させていることなどに照らすと、十五中は、亡星子を養護学級対象者とするに当たっては原告花子の同意を得ていたものと認めるのが相当である。)

(2) 亡星子は右(1)のとおり、学籍簿上養護学級に入級・所属することとなったが、豊中市においては、その独自の教育方針として、これまでの障害児教育が普通教育と隔絶した形で行われてきたことへの反省から、障害児をできるだけ健常児と共に学ばせることで、知的な刺激や人間関係の訓練をし、健常児は弱者へのいたわりや感受性を育てることを目的として、いわゆる「統合教育」が行われていたため、亡星子「原学級」と呼ばれる普通学級に編入され、健常児である普通学級の生徒と一緒に授業を受けることとなり(なお、亡星子は、東豊中小においても「統合教育」を受けていた。)、一年生の時は三組、二年生の時は五組、三年生の時は三組に在籍し(亡星子は、同人及び原告花子の強い希望により、三年生に進級した時点で養護学級の所属から外れ、学籍簿上も普通学級に所属することとなった。)、一年生時の担任はE教論、二年生時の担任はK教諭、三年生時の担任はY教論であった。

養護学級に所属する生徒が普通学級において一緒に授業を受けられない状況が生じた場合には、「抜き出し」(クラスから当該障害児を別の場所に移す。)及び「入り込み」(授業を担当している教師以外の教師が、当該障害児の補助・介助のためにクラスに入り込む。)という方法により、その時々の状況に対処しており、亡星子については、美術及び技術の授業において週四回「入り込み」が行われたが、「抜き出し」が行われることはなかった。

(3) 亡星子は、小学校時代から、他の生徒に声をかけて逃げたり、他の生徒の頭や背中を後ろから叩いて逃げたり、他の生徒の顔を見て笑って逃げるなどの行動を取ることが多く、また、他の生徒から見ると、亡星子は小柄で痩せていて、髪の毛はバサバサでフケが目立ち、洗髪をしていないようであり、着衣も汚れやシミだらけで洗濯もしていないように見えたことから、普通の生徒とは異質の存在と映り、他の生徒から、「服が汚い」などと言われて避けられることがあり、また、東豊中小の同級生であったAなどの一部の男子生徒からは、「亡星子に手で触れるのは汚いから」という理由で足で蹴られたりしていたが、十五中に入学後も亡星子の右のような振る舞いは全く変わらず、頭髪は入浴や洗髪をしないためかフケだらけであり、また着衣も洗濯をしていないためか汚れたままの制服とブラウスを着用し、しかもスカートを短くたくしあげて着用したり、ソックスをはかないなど他の生徒と異なる様子であったため、東豊中小のころから亡星子を知っているAらは勿論のこと、被告生徒らやその他の生徒の中にも、亡星子に対し、「汚い」、「うっとうしい」、「甲野菌(ばい菌のことであり、亡星子に触れるとばい菌が染るので、亡星子に触りたくないという意味を込めている。)」などど言ったり、靴で亡星子の頭を叩いたり、背中や足を蹴ったりする者が出てきた(これらの行為は、不特定多数の生徒が亡星子に対し、身体に対する物理的攻撃、言動による脅し、嫌がらせ、無視などの心理的圧迫を反復・継続して加えることにより、亡星子に苦痛を与える行為ということができるから、いわゆる「いじめ」であり、以下これらの行為を総称して「本件いじめ」という。)。

右暴行を振るっていた生徒は、A、B(亡星子の同級生。以下「B」という。)、被告乙野一郎、被告丙野四郎ら男子生徒約一〇名であり、これらの生徒が亡星子を手で殴らずに、靴で頭を叩いたり、蹴ったりしていた理由は、前述のとおり、亡星子に直接手で触れるのが汚いと考えていたからであった。そして、これらの亡星子に対するいじめは、教職員の見ているところで行われることはなかった。

(4) 被告乙野一郎は、十五中に入学後の一年生の一学期に亡星子のことを知り、一年生の二学期には亡星子が校内で他の生徒から蹴られるのを目撃するようになったが、被告乙野一郎自身亡星子に対して暴行を加えるようなことはなかった。しかし、被告乙野一郎が二年生の二学期に頭髪を金色に染め、変形学生服を着用するようになり、このような被告乙野一郎の姿を見た亡星子が、走って逃げるようになったり、両手で顔を覆って被告乙野一郎を怖がる素振りをするようになったことから、被告乙野一郎は亡星子のかかる素振りに立腹するようになり、平成二年九月ころ、東豊中小付近の路上で亡星子及び原告花子を見かけるや、右両名のところに掛け寄り、亡星子に対し、「おまえ、このあいだ何で逃げたんや。」などと言って、いきなり亡星子のふくらはぎを二回蹴りつけ、また、平成三年八月ころにも、原告花子の自宅付近にあるハンバーガー店「ロッテリア」の店内において、原告花子及び姉三子と一緒にいた亡星子を認めるや、いきなり亡星子の足を強く蹴るという暴行を加えた。なお、亡星子及び原告花子は、右暴行の事実を十五中の教職員に申告したことはなかった。

被告乙野一郎が本件事件を起こすまでに亡星子に対して行ったいじめは、右二回の暴行のほか、亡星子の身体を足蹴りしたことが五、六回あり、また、多数回にわたって大声で怒鳴って亡星子を脅すということがあった。

(5) 被告丙野四郎は、一年生の一学期ころ、友人であったAが亡星子に対して唾をかけたり、「汚い」などと悪口を言っているのを見て、亡星子のことを知るようになり、亡星子に対して言葉によるいじめをするようになったが、一年生の時には自ら亡星子に暴力をすることはなかった。被告丙野四郎は、二年生の二学期に、亡星子が被告丙野四郎の顔を見て笑って逃げたことに立腹し、亡星子を追いかけて足蹴りしたことが一回あり、そのほかに本件事件を起こすまでに二回位亡星子を蹴ったことがあった。

(6) 被告丁野山子は、小学校三年生のころから亡星子を知っており、十五中入学後本件事件を起こすまでに三回位亡星子を足蹴りしたことがあった。

(7) 被告戊山六子は、平成二年四月ころ亡星子のことを知り、同年一〇月ころより、亡星子から、度々名前を呼び捨てにされた上、頭や背中を叩かれるようになったが、当初はこれを我慢していたところ、他の生徒から「甲野のばい菌が染る。」とはやし立てられたことから、亡星子に対して立腹するようになったが、本件事件を起こすまでに亡星子に対して暴行を加えたことはなかった。

(二) (亡星子の問題行動)

(1) 亡星子は、二年生の二学期ころから、無断欠席、遅刻、早退が増え始め、この傾向は三年生に進級してからも続いた。亡星子の成績は不良で、成績評価はほとんど五段階評価の一であり、出欠状況は、二年生の一学期が授業日数八四日中、欠席六日、遅刻六四日、欠課一八時間であり、同二学期が授業日数九〇日中、欠席二日、遅刻四三日、欠課四時間であり、同三学期が授業日数六二日中、欠席三九日、遅刻二〇日、早退一回、欠課六時間であり、三年生一学期は、授業日数八五日中、欠席二七日、遅刻三五日、早退一四回であった(甲一〇六、一〇七)。

(2) 亡星子が十五中に登校せずに、日中どのようにして過ごしていたかは必ずしも明らかではないが、平成三年四月ころ豊中市内のスーパーの警備員から、亡星子が幼児から金を取ったとの通報が十五中にあり、O教論が亡星子を連れ戻しに行ったのを始めとして、同年五月の連休のころから、校区や校区外の商店街から、亡星子が商店から商品を万引きしたり、隙を見てレジから金銭を盗んだり、店の電話を勝手に使用し、注意するとすごい言葉でくってかかる、パンを買う金を無心する等の苦情が十五中や豊中警察署に寄せられたことがあったため、O教論が謝罪に赴いたり、亡星子とともに豊中警察署に出頭したりすることがあった。亡星子は、平成三年五月一四日、豊中警察署の司法警察員小川清に対し、①原告花子は、朝亡星子が学校に行かずに寝ていると、一応「学校に行くように」とは言うが、それ以上注意をしないので、亡星子は、原告花子が日中外出するのをよいことに、家でブラブラして学校に行かず、好き勝手なことをしていること、②一年生の二学期から勉強についていけず、学校をさぼるようになったこと、③現在一日にタバコを一〇本吸っていること、④平成三年五月に入ってから、遊ぶ金欲しさに、小学校から金銭を脅し取ったり、商店のレジから金銭を盗んだことが九回位あり、京阪京橋付近の盛り場で見知らぬ男五人に誘われてドライブに行ったことがあること、を供述していた(乙一五、一六)。

(3) そして、亡星子が右(1)で述べたとおり無断欠席、遅刻、早退を繰り返すようになった原因は、勿論亡星子が学校でいじめに逢っていたことが影響していることは否定できないけれども、右(1)及び(2)の事実を総合する限り、むしろ、学校の勉強についていけなかったこと(前記認定のとおり、亡星子の学力は、小学校二年生程度であり、十五中においても通知表の成績はほとんどが五段階評価の一であった。)、亡星子をいじめたりしない生徒との関係においても、上手に人間関係を形成することができないことなどの理由で学校が楽しくなくなり、授業に出ずに校外で遊んでいる方が楽しくなるにつれ、さらに授業に出なくなり、これに加えて、原告花子が平成元年九月に原告太郎と離婚した後、亡星子は原告花子の肩書住所地に原告花子、一歳半年上の姉三子と三人で暮らしており、日中は原告花子が勤めに出て不在であったため、学校から自宅に電話しても原告花子と連絡が取れず(なお、原告花子は、十五中に対し、同人の勤め先を知らせていなかった。)、また、原告花子は、亡星子が学校を欠席がちであることを学校から知らされても、亡星子に強く注意しなかったため、亡星子は、積極的に登校する意欲を喪失していったことが認められ、さらには、姉の三子が高校二年の一学期で中退したこともこれに影響しているものと思われる。

もっとも、原告らは、亡星子の不登校の原因は亡星子に対する本件いじめにあったと主張し、甲一〇八、一〇九にはこれに沿う記載があり、証人甲野三子及び原告花子も同趣旨の供述をしているが、右(2)で認定のとおり、亡星子の平成三年五月一四日付の司法警察員に対する供述調書によれば、亡星子自身不登校の原因が勉強についていけないことや外で遊んでいる方が楽しいからであると答えており、また、十五中の教職員らに対しても、いじめが不登校の原因であると述べたことはないこと、原告花子も本件事件直後に警察の事情聴取を受けた際、「亡星子が、クラスの者はみないい子だと常日頃から言っておりました。Aという子から時々蹴られたりするので嫌だともらしておりました。」と述べるにとどまっていること、これに加えて、亡星子には右に述べたとおり、本件いじめ以外にも不登校の原因となり得る事情が多々存在することに徴すると、本件いじめが亡星子の不登校の主たる原因であったとまでは未だ認めるに足りず、他に右原告らの主張を認めるに足りる証拠はない。

(三) (亡星子に対するいじめ及び亡星子の問題行動に対する十五中の対応)

(1) 十五中としては、亡星子がいじめの対象になりやすく配慮を要する生徒であるとの認識を有していたものであり、亡星子の二年及び三年の学級編成に当たっては、亡星子に理解があり、亡星子を支えてくれる生徒を中心に学級編成するなどの配慮を行い、また、担任のE教論、K教論、Y教論らは、亡星子が、他の生徒に声をかけて逃げたり、他の生徒の頭や背中を後ろから叩いて逃げたり、他の生徒の顔を見て笑うなどの行動を取ることが多く、また、髪の毛はフケが目立ち洗髪していないようであり、また、着衣も汚れやシミだらけで洗濯をしていないようであったために(さらに、亡星子は弁当を持参していないことが多く見受けられた。)、右のような行為をされたせいと亡星子に反発し、その反発から手で小突いたり、足で蹴るなどのトラブルが生じていたことや、亡星子がクラスの中で浮き上がった存在となりやすいことを認識していたため、右トラブルに関係した生徒に対し、亡星子の性向など(特に、亡星子の右行動は、同人にとっての他者に対する愛情の表現方法であることなど)を理解するよう指導し、亡星子に対しては、社会生活を送るのに困ることがないように、「ありがとう。」「ごめんなさい」といった感謝や謝罪の言葉を言えるように指導し(乙二六、二七)、また、亡星子の不登校に対する対応としては、亡星子の同級生の子に頼んで、毎朝亡星子の自宅に迎えにいったり、亡星子の自宅に電話をかけたり、家庭訪問や保護者との懇談会の機会に原告花子に対して亡星子が学校を欠席がちであることを告げ、善処を求めたが、亡星子は、せっかく迎えに来てくれた生徒と一緒に登校しないことが多く、時には、原告花子が迎えに来てくれた子を追い帰したりするなど、同級生による亡星子を迎えに行く取り組みも効果がなく、また、原告花子は、日中は勤めに出ていたにもかかわらず、十五中にはかかる事実を教えようとせず、勤務先も伝えなかったので、十五中から原告花子に連絡を取れないことが多く、家庭訪問や懇談会時において、担任から原告花子に対して亡星子の不登校や問題行動を告げるとともに、亡星子の入浴、着衣の洗濯、弁当の持参を要請し、これら亡星子にかかわる問題を解決するために学校への協力方を説得しても、原告花子はこれに協力する姿勢を見せず、結局、本件事件が起こるまで、亡星子の不登校や問題行動が減ることはなく、その原因が究明されることはなかった。そして、右教論らは、亡星子が教職員の目が必ずしも行き届かない登下校時や休み時間、放課後に本件いじめに逢っていることには気が付かず、また、亡星子を理解してその支えとなり、同人と接触する機会の多いはずの生徒たちからもいじめの話を聞かなかったため、亡星子に対するいじめが存在するものとは認識することができず、亡星子に対するいじめに対する対策を特に講ずることもしなかった。(なお、原告花子は、亡星子の不登校及び問題行動についてK教論及びY教論から知らされたことがない旨を供述し、甲一〇九にも同趣旨の記載があるが、乙一五によると、亡星子が平成三年五月一四日豊中警察署で事情聴取をされた際、原告花子も同警察署に招致されて出頭し、警察官から、亡星子の不登校及び問題行動の事実を知らされ、今後は亡星子を十分監督する旨を約束していること、さらに、亡星子は二年生の二学期から不登校気味となり、三年生一学期からは問題行動も目立っていたのであるから、二年生時の一学期末及び二学期末、三年生時の一学期末に出席した担任教師との懇談会において、K教論及びY教論が保護者である原告花子にこれらについて何も告げないということは通常あり得ないことなどからして、右原告花子の供述及び甲一〇九の記載はとうてい信用することができない。)

(2) 原告花子は、平成三年九月末ころ、亡星子から、「今日もいじめられた。Aに背中を蹴られた。学校に電話して欲しい。」と訴えられたため、十五中に電話をかけ、対応したI教頭に対し、Aによる右いじめがあったことを伝えて善処を求め、同年一〇月始めころにも、亡星子から再びAに背中を蹴られたため、十五中に電話をかけ、応対した十五中の教職員(氏名不詳)に対し、右いじめがあったことを伝えた。十五中では、右いずれの場合も、右通報を受けたI教頭がY教論に対して右通報があった旨を告げ、Y教論はAの三年生時の担任で学年生徒指導担当でもあるC教論に右通報があった旨を告げたところ、C教論は、A宅を訪問してAを指導した。Y教論は、亡星子からAに背中を蹴られた事実を確認した。その後、原告花子からは、十五中に対して右のような通報がなされたことはなく、事実、C教論による指導があって以降、Aによる亡星子に対する暴行はなくなった。なお、右教論らは、本件事件以前は原告花子から右通報のあったことをN校長に報告しなかった。

(3) 平成三年一〇月一七日に行われた生徒会役員選挙の立会演説会で立候補した生徒たちが十五中に存在するいじめについて訴え、同月一九日付の十五中の生徒会新聞「つばさ」には、平成三年度後記生徒会の目標として、「いじめをなくそう」ということが掲げられ、当時の生徒会長の畑中喜士己の「十五中にはまだまだ、いっぱい、いじめがあります。ぼくは、それが人ごとだとは思えません。ぼくもいじめられたことがあります。でも、みんなは、いじめについて、まじめに、かんがえようとしません。いじめを、ほおっておいて自由への土台作りはできません。ぜったいいじめをなくしていこう。ぜったいいじめをなくしていこう。」という決意文を始め、「私は、「いじめ」について考えていきます。」という副会長名部亜紀子の決意文、書記の天野隆之介による「ぼくが四役をやっている間は差別やいじめのないよりよい仲間作りかできるようにし」との決意文が掲載され、同年一一月七日付で発表された「生徒会方針案 専門委員会方針案」には、「今のクラスや学年で上下関係があったり障害を持っている子をいじめたりする状況が普通になってきています。」「むしゃくしゃしている人が何の罪もない「障害」を持つ人になぜか、やつあたりをするということがおきています。それを周りの一部の人が注意してもそれをやめるどころか逆に注意した人も攻撃をされるというおかしいことがあります。」とされていたので、右演説を聞いたり、生徒会新聞に目を通したN校長は、職員朝礼において、教職員らに対し、十五中内におけるいじめの有無を調査し、いじめの事実が発見された場合はO教論又は学年生徒指導係に報告するように指示したが、特にいじめについての報告はなされなかった。

なお、右生徒会のいじめについての取り組み方について、O教論が生徒会役員の真意を確認したところ、役員の中には小学校時代あるいは十五中に転校してくる前の学校でいじめを受けた経験のある生徒がおり、当時全盲の小川という生徒が他の生徒からわざと間違った方向を教えられるという出来事があって、いじめをより真剣に受けとめ、少しでも嫌な思いをする生徒がいないようにしようとの考えで前記訴えを行ったものであり、亡星子に対する本件いじめを意識してのものではなかった。

(四) (本件事件の発生)

(1) 本件事件が発生した平成三年一一月一五日には午後三時三〇分から職員会議が予定されていたため、各授業が五分間短縮され。ホームルームと清掃が午後三時一〇分には終了し、職員会議は予定の時間に始められ、午後五時二〇分ころ終了し、その後かなりの数の教職員が生徒指導のために職員室に残っていた。被告生徒らは、同日の放課後、十五中の下校時刻である午後五時を過ぎても下校せず、別紙図面記載の「校舎」前の階段のようなところに座って話をしていたところ、被告乙野一郎は、午後五時五〇分ころ、制服姿の亡星子が同図面記載の「正門」の西隣の高さ約1.6メートル、幅約1.8メートルの鉄製片開の門扉を乗り越えて校内に入ってくるのを発見した。なお、右当時、右正門の鉄製門扉(内開きの二枚)及び片開きの門扉はいずれも閉鎖されており、また、亡星子は同日学校を欠席していた。

(2) 亡星子は、校内に入ってそのまま北に約二〇メートル進んだところで東に曲がり、別紙図面記載の「花壇」の北側まで歩いてきたところ、背後から亡星子に追いついた被告乙野一郎から、「おまえ、このあいだ逃げたやろう」と声をかけられ、いきなり左脇腹を強く蹴られたため、その場にうずくまるように倒れた。被告乙野一郎は、倒れた亡星子に対し、さらに亡星子の頭部や背中を三、四回蹴り、被告丙野四郎、被告丁野山子及び被告戊山六子も被告丙野四郎に加担して亡星子の頭部や背中を蹴った(ただし、被告戊山六子が亡星子を蹴った回数は、他の三名に比べて少なかった。)。亡星子は、被告生徒らに蹴られている間、ずっと身体を丸めて両手で顔を押さえ、蹴られるたびに、「痛い、やめて」「何で蹴るの」と泣き叫んでいたが、被告生徒らは、これを無視して亡星子に対する執拗な暴行を続け、約二五分後にようやく蹴るのをやめ、被告丙野四郎が亡星子に対し「もう蹴れへんから帰れ。」などといっていたところ、同日午後六時一五分ころ、校内を巡視していた警備員からの「下校時刻を過ぎているにもかかわらず、正門近くに十五中の生徒数名が集まっている。」との通報を受けたI教頭の指示により、校舎内に残っていた十五中の教職員七名が現場に駆けつけたため、被告生徒らは、正門を乗り越えて校舎外へと逃走した。

(3) 右教職員らは、花壇のところに亡星子がスカートや上着がめくれあがった状態で仰向けに倒れている亡星子を発見したため、亡星子を保健室に運んだところ、亡星子は鼻血を出しており、額、頬、鼻に細い擦り傷があり、顔や衣類のあちこちに泥がついていた。その後、亡星子の顔の表情がなくなって青白くなり、瞳孔が開いているような状態になったため、N校長の指示で救急車を呼び、同日七時ころ、豊中市庄内宝町二丁目六番二三号所在の大阪脳神経外科病院に搬送され、急性硬膜下血腫と診断され、直ちに同病院に入院し、左前頭部の血腫を除去する手術を受け、その後も同病院において治療を受けたが、同年一一月二一日午後一一時四五分ころ、脳圧迫により死亡した。

(4) 被告生徒らがグループを形成し出したのは平成三年の夏休みの終わりころからであるが、本件事件を起こすまで、被告生徒らが四人で亡星子のみならず他の生徒に暴力を振ったことはなかったし、そのような現場を目撃されたことはなかった。

なお、原告らは、亡星子は平成三年一〇月ころから放課後十五中の教師に校内で勉強を教えて貰うようになり、亡星子が右勉強を教えて貰った日には亡星子の自室にあったカレンダーの日付の上に「×」を書き込んでおり、本件事件のあった当日も、十五中の教師に勉強を教えて貰うため又は昼間配付された宿題等のプリント類を取る目的で十五中の校内に入ろうとしたものである旨を主張しているところ、証人甲野三子、原告花子はこれに沿う供述をし、また、甲一〇八、一〇九にも同趣旨の記載があり、さらに、甲一一〇、一一一の平成三年一〇月及び一一月のカレンダーの日付欄には「×」が書き込まれている部分があるのが認められ、また、本件事件当時、亡星子が制服を着用し、亡星子がいつも通学時に携帯していたものと同じショルダーバックを持参していたことが認められるから、亡星子は何らかの用件があって十五中を訪れたものであると窺われなくもない。しかしながら、右カレンダーには一〇月二七日、一一月三日、同月四日及び同月一〇日といった日曜祝日にも「×」が書き込まれているし、証人甲野三子の供述によっても、三子において、亡星子が実際に放課後十五中の教師から校内において勉強を教えて貰っているのを目撃しているわけではないこと、亡星子が持参していたショルダーバックの中には筆記用具や教科書は入っていなかったこと、亡星子が校内に入ろうとした時刻は午後五時五〇分ころであり、通常中学校がこのような遅い時間帯に生徒に対する補習を行うものとは考えにくい上、証拠(乙三三、三六)によると、十五中としては、夏休みの一時期の午前中を除いては補習授業を行っていないことに徴すると、証人甲野三子及び原告花子の右供述、甲一〇八、一〇九の右各記載はいずれも信用することができず、他に本件事件当時亡星子が十五中の校内に入ろうとした目的が原告ら主張の目的であったことを認めるに足りる証拠はない。

2 そこで、以上の事実に基づいて被告豊中市の責任について判断する。

(一)  公立中学校の教員には、学校における教育活動及びこれに密接に関連する生活関係における生徒の安全の確保に配慮すべき義務があり、特に、他の生徒の行為により生徒の生命、身体、財産などに大きな影響ないし危険が及びおそれが現にあるようなときには、そのような悪影響ないし危害の発生を未然に防止するため、その事態に応じた適切な措置を講ずる義務があるといわなければならない。

(二)  そこで、まず、本件いじめによる亡星子の被害を防止するについて被告豊中市の公権力の行使に当たる公務員である十五中の教職員らに過失があったか否かについて検討することとする。

前記1で認定したところによれば、(1)亡星子に対する本件いじめは、教師の目が十分に行き届かない登下校時や休み時間、放課後に行われていたために、十五中の教職員らが亡星子に対する本件いじめを現認したことはなかったこと、(2)亡星子及び原告花子が、亡星子に対する具体的な暴力によるいじめを十五中に申告したのは、平成三年九月末ころと同年一〇月始めころの二回、亡星子がAに背中を蹴られた事実だけであり、平成二年中に二回、亡星子が原告花子の面前で被告乙野一郎から蹴られた事実ですら、亡星子又は原告花子からは申告されていないこと、(3)亡星子の二年生時と三年生時には、亡星子を理解し、支えていくことが可能な数人の生徒と同じクラスになるよう配慮がなされ、これらの生徒を中心に亡星子を支えるための取組みが継続的に行われていたが、右取組みを通して亡星子と最も接触する機会が多く、亡星子の様子が分かっている生徒からも、亡星子に対する本件いじめについての報告は全くなかったこと、(4)亡星子は、二年生の二学期後半から遅刻、早退、欠席が増加し始めたため、担任を中心にその原因を究明すべく努力したが、本件いじめが原因というよりは、むしろ学力不振等による怠学によるものであり、また、二年生の二学期後半を境に亡星子に対する暴力によるいじめがエスカレートした事実もないこと、(5)十五中の生徒会役員の立会演説会及び生徒会新聞「つばさ」における「いじめをなくそう」との訴えは、亡星子に対する本件いじめが背景となって出てきたものではないこと、(6)被告生徒らがグループを形成したのは平成三年の夏休み以降であるが、被告生徒らが本件事件を起こすまでに、亡星子に対して集団で暴行を加えた事実や、加えようとしたことはなかったし、亡星子以外の生徒に集団で暴行を加えたりしたこともなかったこと、以上の事実が認められる。そして、かかる事実に加えて、本件事件が、十五中の校内において、職員室に教職員が残っていたところで発生したものであるとはいえ、下校時刻をはるかに過ぎた時間帯において、偶然、閉じられた正門を乗り越え校内に入り込んだ亡星子に対し、たまたま校内に残っていた被告生徒らが集団で暴行を加えたという極めて偶発的なものであることを併せ考ええるならば、原告らが主張するように、平成三年の九月末ころと一〇月始めころの二回にわたり、原告花子から、十五中に対し、「亡星子がAに背中を蹴られた。」旨が申告され、その善処方を申し入れられた時点において、十五中の教職員らが、他の生徒により亡星子の生命、身体に大きな悪影響ないし危害が及ぶおそれが現にあるものと予見することは極めて困難であったというほかはなく、右教職員らにおいてかかる予見が可能であったことを認めるに足りる的確な証拠もない。

(三) そうすると、十五中の教職員らが亡星子の本件事件による被害を防止するについて過失があったものとは認められないから、被告豊中市が本件事件につき国家賠償法一条一項に基づく責任を負うとの原告らの主張は理由がない。

二  争点2(被告親権者らの責任)

1  証拠(甲四から七、一四から一七、二九、三一、乙一から四、九、一九、三〇、三一、三六、丙一から四、被告乙野一郎及び被告戊山六子の各本人尋問の結果)を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 被告乙野一郎は本件事件当時、亡乙野二郎、被告乙野一子及び被告乙野三郎の四人家族であり、、亡乙野二郎は会社勤務、被告乙野一子は看護婦として病院に勤務しており、どちらも夜八時から九時ころの帰宅となるため、学年を追うごとに問題行動が顕著になり、二年生の二学期ころから変形学生服を着用し、頭髪を金色に染め、ほとんど毎日のように被告丙野四郎、被告丁野山子、被告戊山六子らとともに授業をさぼり、あるいは無断欠席などして、被告丙野四郎の自宅などで喫煙し、フアミコンなどをして遊ぶようになった。被告乙野一郎の出欠状況は、一年次は欠席〇日、遅刻一〇日、早退二日であり、二年次は欠席一一日、遅刻四四日、早退一六日であり、三年次の一学期は欠席七日、遅刻三二日、早退三日であり、二学期は本件事件までに欠席一八日、遅刻二八日、早退二四日であった。被告乙野一郎は、非常に興奮する傾向があり、精神的には幼く、他人の心情を思いやったり、迷惑をかけているという意識はなく、善悪の判断も未熟である。校内では、暴力を背景に同級生・下級生に影響力を持ち、卒業生の不良グループともつながりがあり、「番長」として振る舞っていた。

被告乙野一郎の親権者は、学校との懇談を繰り返し、大阪府補導センターの継続指導、協助員の指導をうけることになったが、被告乙野一郎に対する躾は甘く、放任状態であった。なお、被告乙野一郎は、平成三年七月ころから、被告戊山六子と交際するようになった。

(二) 被告丙野四郎は、本件工事対象建物部分事件当時、被告丙野風子と兄との三人で暮らしており、二年生のころから欠席が多くなり、十五中の教職員らが被告丙野風子と懇談したり、家庭訪問を繰り返して指導したが、三年生になって、被告乙野一郎、A、Bのグループに仲間入りし、変形学生服を着用し、右仲間とともに授業をさぼり、あるいは無断欠席して喫煙するようになり、平成三年九月ころから被告戊山六子と交際していた。被告丙野四郎は、周囲に引っ張られやすい傾向があり、周りがやると付和雷同するところがある。被告丙野風子は、いわゆるキャリアウーマンとして損害保険会社に勤務しているため、日中不在となり、自宅は被告乙野一郎ら不良グループの溜まり場となっているにもかかわらず、被告丙野四郎に対して強い指導をすることができず、喫煙も容認するなど放任していた。

(三) 被告丁野山子は、一年生の時に文房具を万引きしたことがあったが、三年生の夏までクラブ活動を真面目に行っており、特に非行と見られる行動はなかったところ、平成三年夏にクラブ活動を引退し、被告乙野一郎とつきあうようになって、卒業生の不良グループとつながりができ、また、学習意欲も減退して授業をさぼることが増えた。同年九月からは被告戊山六子と一緒に行動するようになり、本件事件当日も、被告戊山六子とともに下級生の女子に対する暴力行為に及んでいた。親権者の被告丁野山子に対する躾は甘く、放任状態であった。

(四) 被告戊山六子は、三年生の夏まではクラブ活動を真面目に行い、特に非行と見られる行動はなかったが、平成三年夏にクラブ活動を引退し、被告丙野四郎と親しくつきあうようになって、被告乙野一郎らと行動することが多くなり、授業をさぼることも増えた。本件当日も、被告丁野山子とともに下級生の女子に対する暴行を働いていた。親権者の躾は甘く、放任状態であった。

2 親権者は、中学生の子であっても、原則として子どもの生活関係全般にわたってこれを保護監督すべきであり、少なくとも、社会生活を営んでいく上での基本的規範の一として、他人の生命、身体に対し不法な侵害を加えることのないよう、子に対し、常日頃から社会的規範についての理解と認識を深め、これを見につけさせる教育を行って、中学生に人格の成熟を図るべき広汎かつ深遠な義務を負っているところ、右1で認定したところによれば、被告親権者らは、被告生徒らが平成三年夏休み以降、十五中のいわゆる「番長」であり暴力を背景として同級生・下級生に影響力を及ぼしている被告乙野一郎を中心とするグループを形成し、以来、被告生徒らの怠学、喫煙、服装の乱れ等の問題傾向が反復していたのであるから(かかる性向がやがて暴力的非行へと結びついていきやすいことは疑いを入れないところであろう。)、被告生徒らと起居を共にしている被告親権者として、被告生徒らの行状について実態を把握するための適切な努力をしていれば、被告生徒らが被告乙野一郎の影響のもとに早晩弱者に対する暴力行使によるいじめに及ぶ予見可能性を予見し得たはずであるにもかかわらず、そのような努力をすることなく、被告生徒らに対し、前記社会規範を身につけさせることを中心とする適切な指導監督をすることを怠り、被告生徒らをほとんど放任していたものであり、そのため、被告生徒らに本件事件を惹起させる結果を招いたものというべきである。

したがって、被告親権者らは、被告生徒らに対する監督義務を怠った過失があるというべきであるから、被告親権者らには民法七〇九条、七一九条に基づく不法行為責任がある。

三  争点3(損害について)

1  亡星子の被った損害

(一) 亡星子は昭和五一年八月一六日に生まれ、死亡当時満一五歳の女子中学生であったことが認められるところ、亡星子が満一八歳に達する平成六年度の賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者の一八歳から一九歳までの平均賃金が金二一〇万四八〇〇円であることは当裁判所に顕著であるから、亡星子が満一八歳に達し、稼働を開始した場合の年収は右金額を下回らないものと認められる。そして、弁論の全趣旨によれば、亡星子は満六七歳まで稼働することが可能であり、生活費控除率は五割とみるのが相当であるから、新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し(新ホフマン係数は22.5304となる。)、亡星子の死亡時における逸失利益の現価を算定すると、次の算式のとおり、金二三七一万〇九九二円(一円未満切捨て)となる。

210万4800円×0.5×22.5304=2371万0992円

(二) 慰謝料

本件事件が発生するに至った経緯、本件事件の態様、亡星子の受傷内容、年齢等本件に現れた一切の事情を考慮すると、亡星子に対する慰謝料は金二〇〇〇万円が相当である。

(三) 以上の損害を合計すると、金四三七一万〇九九二円となるが、原告らは、亡星子の両親として、それぞれ亡星子の右侵害賠償請求権の各二分の一を相続により承継取得したものと認められるから、相続による取得分は各自金二一八五万五四九六円となる。

なお、被告生徒ら及び被告親権者らは、亡星子の服装が必ずしも清潔でないとか、亡星子が他の生徒にちょっかいを出すなど、被害者である亡星子の日常の振る舞いが本件事件を誘発した側面も否定できず、これは保護者である原告らが亡星子の養育責任を十分果たしていなかったことにも要因があると考えられるので、これらの点を全体の損害額の算定に当たって、被害者側の事情として考慮されるべきであると主張するが、本件において原告らが右亡星子の日常の振る舞いを理由に損害賠償額の減額を甘受すべきいわれがないのは明らかであって、被告生徒ら及び被告親権者らの右主張はとうてい採用することができない。

2  原告らの固有の損害

(一) 慰謝料

本件事件が発生するに至った経緯、本件事件の態様、亡星子の受傷内容、年齢、家庭環境、その他本件に現れた一切の事情を考慮すると、原告花子につき金三〇〇万円、原告太郎につき金二〇〇万円とするのが相当である。

(二) 葬儀関係費用

原告花子の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件事件と相当因果関係のある葬儀関係費用としては、金一〇〇万円が相当と認められ、かつ、右費用は原告花子が負担したものと認められる。

(三) 本件事件と相当因果関係にある弁護士費用相当額の損害は、原告花子につき金二六〇万円、原告太郎につき金二四〇万円と認めるのが相当である。

3  以上のとおり、原告らが被告生徒ら及び被告親権者らに対して有する損害賠償請求権は、原告花子につき金二八四五万五四九六円、原告太郎につき金二六二五万五四九六円となる。

第四  結語

よって、原告らの本訴請求は、被告生徒ら及び被告親権者ら各自に対し、原告花子について金二八四五万五四九六円(ただし、被告乙野三郎は金七一一万三八七四円)及び内金二五八五万五四九六円(ただし、被告乙野三郎は金六四六万三八七四円)に対する本件不法行為後である平成三年一一月二二日から右各支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、原告太郎について金二六二五万五四九六円(ただし、被告乙野三郎は、金六五六万三八七四円)及び内金二三八五万五四九六円(ただし、被告乙野三郎は、金五九六万三八七四円)に対する右同様に平成三年一一月二二日から右各支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、それぞれ理由があるから、右の各限度で請求を認容することとし、被告生徒ら及び被告親権者らに対するその余の請求は失当であるからいずれも棄却し、原告らの被告豊中市に対する請求は理由がないからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、八九条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三浦潤 裁判官小林昭彦、裁判官山門優はいずれも転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官三浦潤)

別紙〈省略〉

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